先日新聞を読んでいたら興味深い記事。
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躾って手芸の「しつけ糸」のようなものだと思う。きれいに縫えるラインを大まかに親がガイドする。縫うのは子供自身。多少曲がったり、よれたりするけれど、なんとなくできる。社会にはルールがあるからあまり外れすぎて他人の不快になるような事はだめ。そういう事が「しつけ」ではないかと思う。
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躾という漢字は、身に美と書く。
外見だけでなく中身も美しくありたいものだ。
親として、教える立場として、心に響きます。
あれもこれもやってしまうと、しつけ糸がたくさんありすぎてどこを縫ってよいのかわからなくなる状態ではないだろうか?やはりまずは一つの事をとことんまで極めていくから他に応用が利くのではないだろうか?
それが空手ならうれしい。
師から圧倒的な高さ深さを見せ付けられ、自分が死ぬまでにその高さ深さが見えるか分からないけれど自分が好きな道だから、信じた道だからとことんまで行ってみたいと思う。
しつけ縫いの後の本縫いをするのは自分自身。
Sep 25,2010
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