学生時代の大変お世話になった恩師が癌で倒れました。
小・中・高とお世話になった先生。
末期の膵臓癌。余命1ヶ月。手の施し様無し。
先日ブログで癌の事に触れていたので驚きました。
山形国体に向けて体操選手を強化しようと先生が始めた体操教室。
そこへただジャッキー・チェンのように、ばく転をしたいが為に小学生の頃から通い始めました。そしていつの間にか体操の世界に入り、ばく転はできるようになりましたが、国体選手にはなれませんでした。先生は絵に描いたような熱血先生で、危険なのでここでは多くは語れません。特に高校時代は体操漬け。同じクラスに先生の娘がいたので、まったくもって下手な事は出来ませんでした。泣き言は許されず、ひたすらきつい練習の毎日でしたが、仲間や楽しい先輩後輩に恵まれたので何とか耐えてこれたのだと思います。
先生は怒りがMAXになると山形出身なのに関西弁になり、そしてなぜかどこで習ったのか?プロレス技、空手技、武器術のオンパレードです。
おおっと、もう書けません。
これだけははっきり言えるのですが、体操での経験(先生の教え)が空手競技選手の時に活きたのは、言うまでもありません。
そんな元気だった先生も今は病床。
先日面会に行った時少し話をしてくれましたが、体力的にきつかったと思います。
「目は口ほどに物を言う」いや、「顔は口ほどに物を言う」
満足に話す事の出来ない表情からは、
少しの悔しさ。
生への執着。
達成感。
そして、覚悟を決めた顔。
死を覚悟した人間の表情はこういう顔なのだと、師は教えてくれた気がします。
まだ決まった訳じゃないけど、死と戦っている先生、がんばれ!!
Mar 04,2008
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16年前、入社したての私に半年間ツキっきりで仕事を教えてくれた
先輩がいました
それはそれは毎日厳しく、時には胸ぐらをつかまれ叱られました
悔しくて、情けなくて、自信もなくして一人家で泣き・・・
しかし、それでも会社を辞めなかったのは
その先輩の「本気」が伝わったからです
その先輩は退職されましたが、私自身が現在教える立場になり
「本気」で仕事を教えています。
時には怒鳴ったり、胸ぐらをつかんだり・・・
その彼等がいつかまた教える立場になり、同じように伝える
今の社会はこのような「教養」が欠落しているように感じます
親子・先輩後輩・上司と部下・先生と生徒・・・
社会においても「師と弟子」の関係を築き上げれれば良いのですが
そして
「死」を迎える時、全てではないが伝えたい事は伝えた
「我が人生悔いなし」
と「死」を受け入れたいです・・・
そうですね。何事も本気、真剣な「心」が必要ですね。例え厳しくてもそうでなくてもそこに心が入っていれば何か相手は感じ取るはず。人間は良くも悪くも影響し合う存在。良い影響を与え合いたいものです。そして「我が人生悔いなし」 ですね。